大日如来の命を受けて、魔族や煩悩を降伏させるため姿を表した五大明王の中心的存在。
猛炎を背負い、右手に利剣、左手に
一般に、不動明王は左眼を半眼に閉じ、二本の牙をあらわし、弁髪を左肩にたらし右肩は衣を脱いでいますが、この像は脱いだ右肩に衣が少し掛かっているのが他に例を見ない特徴です。
伝説によると養老年間に来朝していた真言密教第五祖の善無畏三蔵が、桂谷では天魔地妖が跋扈しているという話を聞き、錫を飛ばして桂谷へ来られ、庵を結んで護摩を焚き、桂谷の天魔地妖を降伏させたそうです。(別の説では、弘法大師が修行のために当地を訪れた際に、妖魔が多く修行の妨げになったため、と伝えられています。)
この時の護摩を「修禅寺護摩」といってわが国で焚かれた最初の護摩だといわれています。
この独特の修法が伝わる修禅寺では、開創1200年を迎えた平成19年に、記念事業の一環として、ゆかりの奥の院へ日本有数の大護摩塔を建立し、その祈祷本尊としてこの像を遷座する計画でした。
木材の寄進を受け一般からの浄財も募っていたものの、諸般の事情から当初の計画を断念、改めて平成27年に奥之院へ多目的ホールを兼ねた護摩堂を建立しました。
その堂内には篤志者から寄進された別の不動明王像が安置されています。