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月見ヶ丘

修善寺駅から修善寺温泉に向かう道筋の横瀬の交差点の左に位置する月見ヶ丘。

修善寺の温泉街からは少し離れますが、昔は修禅寺の総門は「なめど」と呼ばれる今の瓜生野地区にあり、現在修禅寺山門に安置されている仁王像もこの総門で修禅寺の入口を護っていましたので、当時はこの月見ヶ丘のある横瀬あたりまで修禅寺の地内でした。

月見ヶ丘から狩野川、修善寺橋を臨む
 ▲月見ヶ丘から狩野川、修善寺橋を臨む

地元民でも知らない人も多い隠れ頼家スポットです。

東南に狩野川を臨むこの月見ヶ丘は、源頼家が修善寺に幽閉されていた折に、ここにきて月を眺めていたと伝えられています。

以下、月見ヶ丘の銘板から抜粋
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この月見が丘は、幽閉された頼家が、温泉場から下って来てここに登り、 愛宕山の頂から登る月をながめては鎌倉に残してきた家族や思い出の数々を偲んで時を過ごしたと伝えられている。

時には里の子供達を集め相撲を取らせたり、共に野山を巡ったりしては、 生き別れとなった我が子の姿を思い重ねていただろう。
束の間ではあったが民の温かい人情に触れ、ひとりの人間として心穏やかな日々を過ごしたことであろう。
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頼家の面倒見の良さも伺える話ですね。

※月見ヶ丘は私有地のため立入禁止です。


月見ヶ丘について、明治の書物には以下のように記されています。
横瀬渡船場の右に當りて狩野川に臨める小丘即ち是れなり。里中の口碑に云う、頼家公の當地に幽せらるゝや、山峰四邊を圍み蓊蒼として月を観るに便ならず、此所に到りて始めて月皎々たるを見るを得たりと。今は頂上に保食の神を祀り、中腹に六道能化の地蔵を安置し、呼んで笠冠地蔵尊と稱す。---桂谷勝概より

これによると、修善寺に幽閉されていた頼家は、あたりに草が生い茂っていて、月を観るのに良い場所がなく、この月見ヶ丘まで来てようやく煌々と輝く月を観ることが出来たそうです。

『頂上に保食の神を祀り』というのは、元は横瀬八幡宮の舊地で、頂上にある祠には保食神(うけもちのかみ)が祀られているそうです。

余談ですが、保食神とは食べ物・穀物を司る神様で、日本書紀では口から出した食物で月夜見尊をもてなした、とあります。
(月夜見尊は「口から出したものを食べさせるとは汚い」と怒って保食神を斬ってしまったそうですが。)ともあれ、ここで月夜見尊(月の神様)につながるとは、偶然とはいえ何だか御縁を感じます。

月見ヶ丘の祠と銘板
▲月見ヶ丘の祠と銘板

また、頼家亡き後、地元の人々が頼家を偲んで建てて頼家を偲んだ地蔵が、月見ヶ丘の中腹にありましたが、修善寺橋を作るときに、工事で月見ヶ丘が削られた際に、今は修善寺橋のたもとに移設されています。
(先の書物の『六道能化』の地蔵も一緒に移設されています。)

この地蔵の頭には石蓋が戴かれているので『笠冠地蔵』、また地元の里の子供達をかわいがっていた頼家にちなんで『愛童将軍地蔵』とも呼ばれています。

月見ヶ丘には入れませんが、このお地蔵様は横瀬の交差点にありますので、どなたでもお参りできます。

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