むかしの修禅寺は広大な寺領を持っていて、横瀬に総門がありました。横瀬大門の地名は今も残っています。
この金剛力士像は、もとはそこで寺を守護していたものですが、
いつの時代のことかわかりませんが、指月殿へ移設され、丈六釈迦如来坐像の両脇に安置されていました。
一般に金剛力士像は山門あるいは須弥壇に阿吽一対で安置されることが多く、金剛杵をもって寺を悪人から守り、非法の者を撃破し、仏のそばにいて仏を護衛する役目で、
仁王とも称され、観音経では執金剛神として観音菩薩の応現した姿とされています。
修善寺の伝説では、
ある晩、土地の老婆の夢枕に現れた仁王様(金剛力士像)から、指月殿へ移すようにとお告げがあったので、仁王様の意志で横瀬から指月殿に移ったとの民話が残っています。
金剛力士は金剛石の如き堅固な意志力を持ち、鎌倉時代に活躍した慶派仏師による奈良東大寺の像に代表されるように、堂々たる力強い風貌が特徴です。
ところがこの金剛力士像は、それら時代の像と比較して、誇張も控えめで様式化されており、明らかに異なる点を、指月殿の釈迎像を修復していた東京文化財修復所(小田谷史弥代表)のメンバーから指摘されました。
昭和59年、釈迦像に引き続き解体修復されることになったこの金剛力士像二体は、像高183センチ、一木彫りで、鎌倉時代初期に造仏された指月殿の釈迦像よりさらに古く、全国でもまれな藤原時代の作であることが分かりました。
修禅寺では平成26年に山門を修復し、その際に二体を指月殿から山門の両脇に新築した堂内へ遷座しました。
お寺へお参りの際には、山門の両脇に祀られているこの金剛力士像を、ぜひ御覧ください。