源頼朝を父に、北条政子を母に、源氏の嫡男として生まれた頼家は、父の急死により二代目の征夷大将軍となりましたが、若い頼家は御家人たちの反発を受け、母方の北条一族と対立して実権を失いました。
やがて病気を理由に修禅寺へ幽閉され、一年もたたないうちに湯治中を襲われて、元久元年(1204)7月17日に非業の最期をとげました。
尼将軍として実権を握った政子は非情の母とも思われていますが、北条一族の策略に翻弄されて、犠牲となった我が子にはさすがに心を心を悼め、墓の側に多層塔を建立して、そこへ中国宋時代の一切経(経・律・論の三蔵をはじめ、すべての仏典を集録した大蔵経)の数千巻にも及ぶ経典を納めて菩提を弔いました。
この写真の経本はそのうち放光般若波羅蜜経の第23巻です。
天地28.6センチの黄麻紙に墨摺された文字は、1行17字詰め30行で1枚とし、4枚つなぎの折本装で、昭和33年4月15日付で静岡県書籍文化財に指定されました。
注日すべきは、巻末にある豆州修禅寺の欄外に「為征夷大将軍左金吾督源頼家菩提 尼置之」とやや右上がりの墨書があり、北条政子の直筆とされています。
残念ながら徳川家康が幕府の安泰を願って全国から経典を集めた際に、ほとんどは芝増上寺に移されたとされ、放光般若経はこの一巻しか現存していません。