修善寺温泉の地名の由来である『修禅寺』。
写真の大日如来坐像がその本尊です。
この像は、高さ103センチ、膝張り73センチのほぼ等身大で、ヒノキの寄木造り、目には水晶がはめこまれ、漆箔が施されています。
その作風や体型、表情などが運慶の手になる奈良円成寺の国宝大日如来坐像とよく似ていたことから、運慶一派の作と期待され、傷みもひどかったため解体修復が行われました。
昭和59年4月4日のこと、東京文化財修復所の小田谷史弥氏、牧野隆夫氏、長井武志氏の手によって寄木の継ぎ目から古釘が抜かれると胴が真っ二つに割れ、首下の右裏面を覗き込んだ牧野氏が「何か書いてある!」叫んだそうです。
そこには『承元四年(1210)庚午八月二十八日 大仏師實慶作』と墨書があり、幻の仏師といわれた実慶の最初の作例発見となったのです。
実慶という名前は、寿永2年(1183)に記された国宝の「運慶願経」の第八巻結縁者のなかに、快慶らと並んで記されており、慶派でも名の通った仏師とみられていましたが、その作例は未発見でした。
胎内に納められた錦袋からは謎の毛髪も発見されました。
この像は、制作以来、一度も解体された様子がないことから、胎内に納められた髪の毛は、制作同時のものと思われています。
当時はまだDNA鑑定が確立しておりませんでしたが、血液鑑定により、像の中の3束の髪の毛はO型とB型、そして、そのO型の毛髪は髄の模様や元素分析が伊豆山神社にある北条政子の髪の毛を刺繍したと言われている曼荼羅の髪とほぼ一致していると鑑定されました。
一部の研究者から今後の研究の為や科学的な保存の為に胎内に戻すことは避けた方が良いのでは等と様々な意見や要望が出たようですが、
当時の住職の「なによりも髪を納めた女性の気持ちを尊重しなければならぬ!」という一言で、修復作業は終わり、北条政子の毛髪かどうかは確証がないまま像の胎内に戻されました。
その後、学術調査を経て、国は平成5年1月20日付でこの仏像を重要文化財に指定し、いまは防災装置に改修されて間もない、本堂須弥壇に安置されています。