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案内板
 
温泉街散策コースには上の写真のような案内板が点在しています。
散策マップと案内板をお供に、のんびりゆっくり修善寺の温泉街を楽しんで下さい。
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 諸国を行脚中の弘法大師が、桂川で病父を洗う少年を見て心うたれ、
独鈷杵(仏具)で川の岩を打ち霊湯を湧出させ、父子に温泉療法を伝授したという、
修善寺温泉発祥の湯です。 |

修善寺温泉の中央部に位置し、桂川をはさみ修禅寺の対岸にある公園で、地域住民や観光客の憩いの場所となっています。
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修禅寺の東隣にある静かな佇まいの神社です。入り口の鳥居をくぐるとマキ、ケヤキ、スギの見事な老大樹が一本ずつ並び、あまり広くない参道をおおっています。ケヤキの巨木の根元には信功院跡の表示と石の庚申塔がひっそりと、源範頼の悲劇の跡をしのばせます。
20段ほどの石段を登るとお社の建つ広場。お社の右側には県の天然記念物に指定されているイチイカシの巨木がそびえています。左側にはスギの巨木が数本あり、その中に同じ根元から2本、寄り添って立っているものがあります。地元では「めおと杉」と呼んでシメ縄を巻いて大切にしています。 |

温泉街の中心部を流れる桂川に沿う遊歩道。とっこの湯から続く小径を歩いていくと、茶処や昔懐かしい火の見櫓が散策する人々の目を楽しませ、竹林の中央では大きな竹製の円形ベンチで風を感じることが出来ます。又、時期によりライトアップが行なわれ、温泉街の夜の散策を堪能できます。
〔平成9年度都市景観最優秀賞受賞)
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竹林の小径の途中にある和風ギャラリーです。年間を通して修善寺の歳時記の写真展など修善寺ゆかりの企画展が開催されています。
観光案内所も併設されていますので、散策時にはぜひ御立ち寄りください。 |

鎌倉幕府将軍 源 頼朝の弟。蒲冠者と呼ばれた範頼は、弟義経への情愛や兄嫁(北条政子)への気遣いなど、優しく率直な性格であったがゆえに頼朝の誤解を招き、この地に幽閉され悲しい最期を遂げました。 |

昭和19年、島木健作が病気療養のため修善寺を訪れたとき、桂川の中州から向こう岸に渡ろうとする1匹の赤蛙が目に止まり、これを題材とした有名な短編「赤蛙」が生れたこの場所に小公園を作り赤蛙公園と呼んでいます。
5月下旬〜6月上旬には「ほたるの夕べ」が開催され、幻想的な光の舞を楽しめます。 |

修禅寺に対面した鹿山の麓にある、尼将軍と呼ばれた北条政子が息子頼家の冥福を祈り菩提所として建立したものです。数千巻の経文を寄進し菩提を弔ったといわれていますが大半は散失し、現存するものはわずか8巻しか残っていません。そのうちの第23巻が静岡県指定文化財として修禅寺宝物館に置かれています。
この建物は伊豆最古の木造建築といわれており、本尊の釈迦如来像は、禅宗式という珍しい形で、持物のないはずの釈迦像が右手に蓮の花を持っているのが特徴です。
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指月殿境内には頼家の墓があります。父頼朝の後を継いで、18歳で鎌倉幕府の二代将軍になった頼家は、やがて政争に巻き込まれ修禅寺に幽閉された後、北条時政の手により23歳という若さで当時修禅寺門前の虎溪橋際にあった筥湯で暗殺されました。
十三士の墓は源頼家の墓近くにあります。源頼家の家臣十三人が、頼家が殺された6日後に再起を期して謀叛を企てたものの、挙兵前に発見され殺されたと伝えられ、その家臣の霊を祀ってあるといいます。 |

修善寺温泉で異国情緒を漂わせているのが、静岡県の文化財に指定されているこの教会。基本構造は日本建築で、外見を洋風に仕上げています。
建物の周囲の屋根軒下には、ぶどう飾りがあります。それは、左官たちが一つずつ丁寧に彫ったもので、一つ一つ形が違うことには驚かされます。白と淡いグリーンの色が青空の下でよく映え、清潔で素敵な教会です。
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